こんにちは、鹿児島市のピアノ・声楽教室「かごしま(鹿児島)音楽教室Sing!」の郷田です。
前回までの記事を参照の上、この記事を読む事をお勧めします→前回の話
さて、発声の話にやっといきますけど、
本当に涙してしまうような声とか音楽表現とか、そういったものを「手に入れたい」と心から、本能的に思うと… この「本能的に」というところがポイントなんですけど、「本能的に欲しい」と思うほど、脳がすごくクリエイティブにありとあらゆる手を考えて尽くしていくんですよね。

で、そこに時間の経過と共に筋力や技術力が追いついてきて、達成するものなんじゃないかなと思います。
なので、本能レベルで、どのくらい本気で「欲しい」と思ったか。
で、それっていうのは、イチ先生が、
お前は本気で思え!と言って、生徒が「そうか、うおー」と思って生まれるものではないんです。
そうじゃないんですよ。
親ライオンがライオンの子供に「お前は獲物を欲しいという気持ちが足りない、もっと欲しいと思え!」なんて多分指導しないですよね。

子ライオンが最初は親からエサを与えられるけど、どこかのタイミングで自立してきて、お腹が空いたら本能的に獲物が欲しいと思うようになって、獲物を狙うようになっていきますよね。
なので、こういう声がほしい、すごい歌の表現力が欲しい、という気持ち、それは何によって最初に生まれるかと言ったら、体験だと思うんですね。
本当に感動する歌手の歌声、響き、表現、を体験する。それは、スピーカーからのものではなくて、生の声を空間で聴くことによってです。そして、それにほんとに鳥肌が立ったり、身体が震えたり、涙が出たり、そういう反応と共に本能的に感動する。
そして、自分もこのかけがえのないものを「手に入れたい」と思う。こういった体験こそが全てのスタートなんです。
それがスタートで、歌を始めようとなります。
そしてその次の段階です。自分の頭の中で、自分が「セルフ作戦会議」をいつもするようになるんですね。

例えば、試しに歌ってみたら、全然声が出ない。すごい声を出したいと思って、技術がないところでただ闇雲に大声で突進していったら喉が潰れた、出なくなった。そんなただの大声だから音楽表現も全然成り立たない。じゃあどうする?理にかなった出し方の理論を勉強したくなる。でもインプットを間違うと、あの感動した声にはおそらく近づかないだろう。インプットを絶対に間違えたくない。どうしよう?
…どこの誰が書いたかわからない発声書や、どこの誰が言っているかわからないYOUTUBEだと合ってるのか合ってないのかわからない。それよりも、人体の”解剖学”とか”運動学”とか「ちゃんとした学問」を学んでみるかと、
そういった考えは、”欲求”が導き出すんですよね。
そしてそれとは別に、本当の本質を教えてサポートをしてくれる先生はどこかにいないかといろいろ探してみたり。
そうやって欲求が環境を整えて学んで、少し声が自由になったかもなと数年かけてなってきた。
→そうこうしていたら、まずは小ホールで歌わないか?という話が来た。で、歌ってみたら、練習部屋だと上手く歌えたのにホールみたいな広いところだと声が自分の耳に返ってこなくて上手く歌えなかった。
→普段の狭い部屋で声を出していたのと全然感覚違った。ああ、部屋で出して気持ちよくなっているあの声は、ホールでは使えないんだな、そしてまた考え直す。
→そして少し良くなったら、今度は大ホールでオーケストラで歌ってみないかという機会があった。歌ってみたら、オーケストラに負けてしまって上手く行かなかった。大ホールだと、もっと声を遠くに届けるのが難しい。また考え直さなければいけない。
→そして、他の共演者はオーケストラに声を乗せられている気がする。その中でも特にあの人はすごいと感じる。そして、その人に話を聞いてみる、
→それを参考にして、試行錯誤する、その試行錯誤というのはもちろん「先生がこうしろといっているからする」のではなくて、「自分が本当に欲しいもののためにそれを必死で探しているから試行錯誤するんだ。」というモチベ=ションでやっている。
そうこうしているうちに、気がついたら、
あれ、数年前は、こんな声だったのに、あきらかに声変わってないか?あれ、自分の歌をいいと言ってくれている人がそういえば結構増えてきたな…。
そうやって、人の歌や、アーティスト性というのは成長していくんですよね。もっと言うと、その人の脳でクリエイティブに探求していった結果として、その人の独自性、個性、オリジナリティも創られる事になるわけです。
つまり、すべての出発点は「欲しいと思う気持ち、それも自発的に内発的に本能的に自然に湧き上がってきた強い気持ち」が全ての起点、そして源流になるんです。そして、その欲しいと思う気持ちによってその人の行動が生まれて、それによって環境を作られていって、その環境の中で試行と修正を何回も何回も繰り返していくようになるんです。
その環境というのは、歌う部屋だけじゃなくて、いろんな人との出会いや、留学して学んだとかも含まれますよね。

みなさん、我々の人生って1回きりじゃないですか?この記事をみている人は、10代、20代、30代40、60、70の人だって、いま人生100年時代ていうことをかんがえれば、少なく見積もっても30年ありますよね。つまりみなさん全員のこれから、未来には、素晴らしい人生の日々が待っているわけですよね。
80歳90歳になって、いずれ人生を振り返って、素晴らしい人生だったなと振り返りたいですよね。
その素晴らしい人生ってのは、野生の動物のように生き生きと生きた人生がいいのか、それとも家畜のような人生だったけどまあのんびりできてよかったかな、というものなのか、それはみなさんが選ぶものであり、価値観も様々ですが、
前者のような欲求が強いレベルの生き方じゃないと、かけがえのない自分の声、作品は生まれないのは確かなので、前者が僕はいいなと思います。

GOUDA AKITOMO(音楽家、作業療法士)
武蔵野音楽大学卒業、同大学院修了。イタリア国立ボローニャ音楽院留学。2004年「第35回イタリア声楽コンコルソ」ミラノ大賞、松下電器賞。2007年「第12回世界オペラコンクール新しい声」アジア予選ファイナリスト。発声法の研究のために解剖書を読み漁ったことからリハビリに興味を持ち、身体や脳の機能など専門教育を経て作業療法士の国家資格を取得。かごしま音楽教室Sing代表。
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