こんにちは、〈声楽・ピアノ教室〉かごしま音楽教室Sing!の郷田です。今回のこの記事では、子供のピアノの先生(音楽の先生)は、優しい人がいいのか?厳しい人がいいのか?というテーマの記事です。
厳しい先生じゃないと、お稽古事は上達しないのではないか?とか、優しい先生じゃないとお子さんが続かないのではないか?など、親御さんは心配するものですよね。そのあたり、どっちがいいのか?と言う事を心理学的な面をベースとしてお伝えできればと思います。
※その前に…大人の生徒さんについて
その前に今回のお話はあくまで教育という側面からの話で、「子供や学生さん」を対象としたお話になります。社会人の方の習い事に関しては、先生から技術的な助言や提案をしていくとしても、ルールや秩序を逸脱する事は除いてですが、そもそも教育的な厳しさが必要なシーンは滅多にないのではと個人的には考えています。
では、子供にとって優しい先生or厳しい先生
まず順を追って検討していきたいんですが、最初に”子供が成長するためには何が必要か”と言われたら?…一つには、そのお稽古事の自主的な練習だと思います。(特にピアノは)では、練習をするということは何によって引き起こる行動かというと?それは、”モチベーション”になります。
モチベーションというのは日本語にすると「動機」といいます。人の行動を引き起こすこの動機付けというものには、「内発的動機付け」と「外発的動機付け」という2つがあって、
内発的動機付けというのは、人から言われるのではなく”自分からやりたい”と思うこと、すなわち自発的な行動のことを言います。
たとえをだすと、パズルを子供が一生懸命、集中して何時間もやっていたとします。誰に言われることなく自分からそれをやることに集中してやっている。それをやること自体に子供が満足している状態です。これを「内発的動機づけ」と言います。
そこに、たとえば、30ピースを完成させたら100円あげるよとか、60ピースで200円とか、やっていくと、「内発的だった動機」が次第に、お金、報酬に動機付けられていくような状態に変わっていきます。そもそもは…自分で楽しくてやっていたパズルが、次第に「報酬のため」に行うようになってしまう。この報酬による動機づけの状態を「外発的動機付け」といいます。だんだん自分から行なっていくというよりも、報酬のために行動をとるようになっていくのが人という生きもの、と結論づけられている論文もあります。
このような、”これができたらこんな報酬がありますよ”というものや、逆に”できないと恐い思いしますよ、やらないと怒りますよ”などというものも自分の外にある動機で行動すること、つまりは外発的動機付けにあたります。
そして、その「外発的動機付け」をずっと与え続けてしまうと、内発的動機付けが壊れてしまう、ということがわかっているんです。なので、「報酬をあげる、先生の恐怖、脅威、子供の行動をコントロールすること」をずっとやってしまうと、”子供が自分の意志に基づいて行動する”ということができない子になってしまうと、最近の研究では明らかになっています。
よくない厳しさとは
ではその上で、
まず、「厳しいことに偏る」について考えていきましょう。特に厳しい先生、いろいろなタイプの厳しさはあると思いますが…その中でも、生徒に言うことを聞かせる、いわゆるコントロール型の指導をする、という手法をとるタイプの先生についてです。一昔前は多かったと言われます。
たとえば「練習をしてこなかったらレッスンしません」とか、「言われた通りに演奏できていなかったら楽譜が飛んでくる」とか、「帰ってくださいと言われる」とか、つまり結果的に「この先生の言うことを聞かないと恐いから練習する、宿題する、言われたことをできるようにする」と子供の頭に刷り込まれている状態、これは「外発的動機づけ」に当たりますよね。このコントロール型手法は…確かにいうことを聞く生徒の数は、増えると思います。ですけど、健全な成長からは道がそれてしまうということです。
私は精神科病院に勤務していましたのでわかるんですけれど、子供の頃のコントロール型教育がトラウマとなって、精神疾患を患っている方は、本当に多かったです。本当はこうしたいのに、自分の気持ちを押し殺して人の指示に従うことが、クセになっていることで、社会生活で常に内的なストレスを溜め込んでまう。という人格形成をしてしまうんですね。結果、うつ病や統合失調症、PTSDなどを患ってしまったという人は…残念ながら本当に多いです。
よく、若い頃の苦労は買ってでもしろ、という言葉が昔からありますよね、「けなされて、蹴落とされることで、メンタルを強くする」、みたいなことを信じている人もまだいらっしゃるみたいなんですけど…たしかに一部の少数の人はそれによって耐性ができて、怒られるシチュエーションに慣れる、ということはあります。しかし、その一部の強くなる人の裏には、多くの人、言いたいことを我慢して内に閉じ込めてしまう人格、というものを形成してしまう人の方がはるかに多いんです。
なので、「練習をしっかりやるようになる厳しい先生に習ったら、練習を子供がちゃんとやるようになった。いうことを聞く子になった。よかった、その先生のおかげです。」と思って安心していたら、実はその背景には”外的動機付け”がある可能性もあります、ということです。子供がやらされるという心境で練習をする、自発的に取り組むという力が育って行かない、というデメリットも生じているという「場合」もあります。(厳しいと言われるけど、結果的に子供が健全に育っていく素晴らしい先生もいますが、その場合アフターフォローと生徒の信頼が徹底されなければならない)
余談ですけど、それに救われるケースとしては、そういった厳しい先生の前ではピリッとしてるけど親にはわがままを言えているという子、それからその先生の元をやめていった子の方が、まだこっちの方が健全なのではないかと私は考えています。親もわがままを許してくれなかった、先生と親御さん両方からのプレッシャー含めて全て、自分を押し殺して我慢して続けられてしまった子は、本当にリスクが高いことは、先ほどの精神科病院での患者さんを見ると明らかです。
では、今度は逆に、優しさというものに偏る悪い例を上げていこうと思います。
優しさに偏る悪い例
今の時代、ハラスメントはいけませんよ、という考えがだいぶ浸透しています。それ自体はよいことだと思いますし、先ほど申し上げたコントロール型の先生は減ってほしいと思います。ですけれども、それのハラスメント風潮も過剰になれば、先生は”波風が立たずに安全である”という思考に陥りやすいと思います。これが今の学校はじめ教育現場で増えてきてはいるのかなと思います。
ただ、特にお子様の場合、教室に通うことの目的はどういうところにあるでしょうか?どんな習い事でも、いろんな経験を積むことによって人としての成長促進していくため、という目的が、お子様の習い事で最も重要なことではないかと思います。
楽しむことがモットーの教室(もちろん当教室も楽しむことをモットーとしていきますが)だったとしても、子供達だけで遊ぶ時の楽しさと教室の楽しさが違う点…それは、教室とは「人生経験がある大人(先生)と」一緒に活動する場であるということ、そこに先生の音楽経験はもちろん人生経験が加わって、子供にとってあらゆる経験のバリエーションが増えるというところに、子供の遊びと教室の違いがあると思います。
たとえば、自宅でピアノ、練習していなかったとしても「教室で楽しい時間を過ごせばいいよ」というスタンスを先生がとっている場合、これが非常に”もったいないこと’)が多いです。
自宅で練習を全然したくない、けどレッスン時間は先生が優しいし楽しいから続けている、という子はどこの教室も多いと聞きますが、それを長い間放任していて先生が生徒の自宅学習に関しては諦めているということは、
たとえば、自宅で練習を凄くしていって→レッスンをやってみたら→凄く充実感と達成感があった。
という成功体験をいつまでも経験できない。大人になっても「第一印象でちょっとやりたくないなと思う仕事でも、やってみたらそうでもないかもしれない、とか、つまらない仕事を面白くする工夫」みたいなことを考えられる力というのは大事で、そう考えられるのは、小さい頃の「やりたくないなと思ってもやってみたら意外と、予想と違う感想が出て悪くなかった」という体験がベースとなっているように思います。
優しいけど勿体無い先生というのは、実はそういったことを教えられる力があるのに、波風を立てないために練習をしないことを放任している、という思考になっている先生…もうそれは「お外で遊んで楽しい」と「教室で音楽をやるのが楽しい」が同率線上となり、区別があまりなくなって…すなわち月謝を払っていることが非常にもったいないと感じます。
このように、厳しい先生の一例と、優しい先生の一例を上げてみました。どちらも、極端に両端に偏ってしまっている例を出しましたけれども、
では、当教室ではどのように指導を行なっていった方がいいと考えているか、ということについてですが、
だいぶ長くなりましたので、そちらは次回記事に致します。
GOUDA AKITOMO(音楽家、作業療法士)
武蔵野音楽大学卒業、同大学院修了。イタリア国立ボローニャ音楽院留学。2004年「第35回イタリア声楽コンコルソ」ミラノ大賞、松下電器賞。2007年「第12回世界オペラコンクール新しい声」アジア予選ファイナリスト。発声法の研究のために解剖書を読み漁ったことからリハビリに興味を持ち、身体や脳の機能など専門教育を経て作業療法士の国家資格を取得。かごしま音楽教室Sing代表。
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